プロフィール

Author:terummy
ヤマモトです。書をいろんな形で表現していきたいと思っています。

●東洋書芸院  審査同人
●産経国際書会  審査同人
●広島県水墨作家協会  理事
●広島芸術学会 
●中国新聞文化センター 講師
●「ひとふで」主宰

2008年 NYにて個展
2009年パリ 文化イベントに参加 美術館にて揮毫

【 NHK広島 ひるまえ直送便 】放送中
『ひるまえ川柳』で選ばれた特選句を書いています♪

【広島ホームテレビ】
谷原章介がせまる『秀吉が愛した武将茶人』のタイトル文字



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名もなき男の話。(祖父のこと)

「広島が大変なことになっている。」


祖父は仕事先でそう聞き、8月6日急いで帰ると自分の家は跡形もなく焼け、一面はあの写真のように焼け野原となっていた。

祖父は焼け残ったトタン板で瓦礫の中から人を救い出しては何往復も運んだ。40代だった祖父。

近所の塗装屋のきれいなお嬢さんがいて「おじちゃん助けて。」と言うが、家の梁がどうにもこうにも動かせず助けることが出来なかったことを後生悔いていた。

自分自身はトタンで運んだ三日後に水ぶくれが出来、皮膚が垂れ下がったという。

と、いうのは祖母経由で嫁である母から聞いた。

祖母は幸運にもその日の朝の汽車で広島市内から田舎に帰っていた。父も他県にいて被爆はしていない。ただ無くなった家に帰り、大事にしていた本が焼けたことが悔しかったらしい。写真でなく本というのが父らしい。

私が小一の時祖父は亡くなった。私の印象では祖父はデカくて丈夫そうだったが、放射能の影響で体に紫の斑点があったのを記憶している。

祖父は被爆の時間に広島に居なかった、ということで被爆者名簿には載っていない。

うまく証明がとれた人もいるらしいが、馬鹿正直な男は名もなくこころと体に傷をかかえ死んでいった。

私もまた聞きなので語りたくはない。さも自分が体験したかのように話されるのは嫌だろう。

被爆体験の方が次第に少なくなっている今、聞き伝えでなく、本当の声を聞かなければ、保存しなければいけないのではないかという思いはある。周りにもやっと今、話し始めようとされている方もいる。上手に話されなくても真実が大事なのだと思う。

あの日おこったことは自分にもおこったかもしれない。

時代の気配は違っていたにせよ、普通の朝ご飯を食べた日に起こったこと。

いつもより上手に卵焼きが焼けたそんな日かもしれない。

明日の朝8時15分黙祷します。物心ついてから毎年それだけは欠かさず。


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